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The Man in the high catsleはリアルなニューヨーク?

アマゾンプライムメンバーになったので、The Man in the high castleを観ている。

第二次世界大戦後に、ドイツと日本がアメリカを支配するというフィクション。

原作は1962年にSF作家フィリップ・K・ディックの書いたベストセラー。
それをこのドラマの制作にはブレード・ランナーを作ったリドリー・スコット氏(事務所かもしれんけど)が
総指揮に入ってるだけあってリアル感がハンパない。

前に、私が通ってるジムの近くのストリート51STレキシントンアベニューあたりを閉鎖していたことがあった。

ランチの時間にジムに行こうとしてるときだったので、ちょっと驚いたのだけど。

いつもは何もない電話ボックスとかの前にも、立て看板みたいなのを立て、
60年代風にしてて、車もその時代のが走ってて、そこに60年代の人たちが闊歩、
まんま撮影されていたことがあった。

なので、このドラマを見たとき「あぁ~あの時の撮影がコレだったんだぁ~」と膝をたたいた。

これまでに何度か、この作品の撮影に立ち会った気がする。

一度は、大きなビルの中にナチの垂れ幕がビルの中に垂れ下がってて、なにこれ?って思ったことがあったし。

また別の時には、パークアベニューに60年代のノリの人たちがウヨウヨいて、私もそこに入りそうになって
「そこ~どいて!」って言われた。

リドリー・スコット氏は、ブレードランナーでもそうだったけど、米国内をとってもアバンギャルドに描く。

まったくもって架空の世界なのだけど、なんだかとてもリアルな感じがする。

もしかしたら、今のアメリカ経済って、The Man in the high castleみたいな状況になっているんじゃないかって
思う今日この頃。

実際、このところどこの日系の会社に勤めていても、アメリカ人の有能な人たちがどんどん入社してくる。
彼らはアメリカ国内で外資系企業(日系企業)に入っても、
日本人マネージメントに支配されていることをさほど気にしないらしい。

って、気にしていないってのは、本当なのか?ってところが、このドラマを見ることで
わかるのかもしれない。

ある時、日系企業に勤めているアメリカ人に「どうして日系の企業に勤めているの?」と
聞いたことがある。

「ミドルサイズなカンパニーだから、すべてを見渡せるし、やりがいを感じることができる。
日系ってところには、特に意識しなかった。そもそも、いいオファーがきたから」と、
もっともらしい意見を聞かされた。

しかし彼の態度を見ていると、たまに本当にそうだろうか?って思うことがある。

NY1PAGEの最新記事より
初心者にやさしいアメリカの保険について 第一回
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歌のうまい兄ちゃんはジャスティン・ビーバーだった

いつものように前の晩からお姉ちゃんたちが、ロックフェラーセンターの前に泊まり。

誰が来るの?って聞こうかと思いながらも、ジャスティン・ビーバーだったとしても、
どうしようもないしって思って聞かなかった。

次の日、姉さんたちは、ステージを囲んで、iPhoneをかまえキャーキャー言っていた。

ちらりとロックフェラーにいつものように朝から特設されているステージを見ると
グレーのカーディガンみたいなのを着た男の子。

「誰だろう?」

目が悪いので見えなかった。

それにしても歌がうまい。

しかし聞いたことない曲だなー。

ジャスティン・ビーバーの新しいアルバムの発表だったらしい。
聞いたことない曲だったのも納得。

家に帰ってすぐ子供たちに自慢(って、本人見ててもジャスティンだって知らんかったけど・・・)

いつもはジャスティンの生きざまがクレージーだから嫌いだって言ってるものの、
さすがに歌を聴いたとなるとうらやましいようす。

「えー写真は撮ってきた?」
「そんな時間ないよ。会社に行く前だし。それに立ち止まってたら係の人に叱られるし」
ファンの人にはもっと叱られるだろうなー。彼女らは徹夜して見てるわけだから。

徹夜できるほど熱愛できる何かがあるっていうのは、
生きていくうえで楽しそうだ。

私も中学時代には長渕剛を追っかけていたけど。
今となっては、なぜあんなに追っかけていたのか謎。

歌手を追いかけるっていうのも、一種の信仰みたいなものだろうか。

NY1PAGEの最新記事より
初心者にやさしいアメリカの保険について 第一回

生ものを食べるために殺生をするのはNGのアメリカ

母と蟹を食べたいということで、コリアンのスーパーマーケットで生きた蟹を買った。
グッラグラにたぎっている湯に蟹を入れると、ピクピク動きながら命を落とした。

たしかに残酷といえば残酷。

蟹の生前から、あやは、生きている蟹を飼うつもりでいたようで、
楽しそうに白いプラスティックバッグに入った生きた蟹を手にしており。

「どのボウルに水を入れておいておけば、明日まで生きるかな?」なんて、
水を入れたボウルに蟹をつけていたので。。。とてもじゃないけど、蟹の死を見届けることは
不可能。

ペットとして飼おうとしていた蟹を食べることなど躊躇するのも当たりまえ。

エリカは、最初から、生きてる蟹なんぞを口にすることはアレルギーとかもいろいろとあるので、
まったく興味なかったし。

デニスは、「婆ちゃんと、お母さんがそんなに美味しそうに食べるのなら」と一口だけ
食べてみた。

そして、「やっぱり無理。さっきまで生きてたし」と、食べることをやめた。

「どうして?生きてるものは、いつも牛に豚にチキンは食べてるわけじゃない」と私。

「人間が食べるために育てられてる動物とは違うよ。蟹は自然の中で生きてて、まさか人間に食べられるって
思ってなかった」とデニスが反論。

「じゃー、人間が食べるために育ててる動物たちは、なんとも思ってないわけ?」って、言いいたくなったけど。
ここで息子をベジタリアンにするのもなーって思い。やめておいた。

アメリカに育てば、殺生はやはり禁じられてることってイメージが先行する。

だからといって
ベジタリアンだって、本当は何かを殺して生きているのだ。
植物だって、生きている。

きっと今は、植物の感情が出てきてないからわからないけど。
植物だって、生きている(あ、二回目?)

その証拠に、植物は育てられる人の感情やエネルギーによって育ち方が違うのだ。

同じ肥料や同じ状況で育てたとしても、きっと育てる人間のパワーによって
育ち方は変わってくると私は信じる。まー人間のだす微量なシグナルのせいだっていえば、
そうかもしれないけど。

きっと、植物のほうにも見えないけど感情があるのかもしれないって私は思っている。

話はちょっと変わるが、

最近、命綱なしで高いところに上って曲芸をする男たちっていうのがYoutubeで人気になっている。
まーよく考えれば、サーカスで綱渡りしたり(昔は命を落とすこともあった)するのと同じような行為。

彼らも素人でやってるつもりはなく、それなりに鍛えてるわけだし。

なぜ命がけのことをやる人間が、いつの時代にも人間にもてはやされるのか、疑問に感じている。

きっと豚が命がけで、何かをやってのけたとしても、ほかの豚から「よくやった」って思われる
ことはないと思う。(動物でも犬や猫は人間の感情に感化されているから例外)

「よくやった」って手をたたいて言ってる豚がいるならば、誰か教えてほしい。

人間って命がけっていうことが、なにかとてもスリリングで楽しくて美しくて、
やってるほうも見ているほうもやめられないのである。

こうして批判的なかんじで言ってる私も、ついついそのビデオを見てしまうのだ。

それでも、こんな命がけな状況を見ていると、いつも死について、人間の命の重さについて考えさせられる。

死ぬ当人のことではなく、周囲の人たちのことを。

愛する人を亡くすことへの絶望感ややるせない気持ちや、
その後の孤独感は、人間、周りの誰かが死ねば誰もが必ず経験することだ。

誰もが経験する一方で、誰もが経験したくないと思っている。

しかし私が周囲の誰かがやるにしても、
一番やるせない死にざまは、カルト宗教や団体のために自殺する人かもしれない。

自分で考えて死を選ぶ人のほうが、もっとましである。

とはいえ、命がけで自分がやりたいことっていうのは、人によってそれぞれ違うわけであるし、
命に対する価値について、何がベストというのはないのかもしれない。

NY1PAGEの最新記事より
初心者にやさしいアメリカの保険について 第一回
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紹介文:NYにてITエンジニアとして働きながら、ライターやTV,ラジオなどメディアのリサーチ業も行っています。NY在住の日本人エンターテイナーが活躍する、音楽、映画、カルチャーの記事を満載のNY1PAGE.comも運営。

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